疲れているのだ

読むも読まないも自己責任、のネット上の書き付けならば「私が」「私が」「私が」「私が」という自己愛主張もしやすいだろう。

こうやって日々のあれこれを万人が万人に発信できるような時代になると、自分とまったく違う考え方をする人の文章を読む機会も増える。肌はあわないが感心するような思考回路の持ち主もいれば、気持ちは分かるけどアンタばかね、というような人もいる。どっちにしても、私はオノレっちゅーもんを持ってないので、読んで疲れるだけ。それを参考にして、自分の思想も持てない。