ドイツ30年戦争 メモ1

◎第一幕【ボヘミヤ・プファルツ戦争】(1618〜1623)
そもそも16世紀。オスマン・トルコの脅威から身を守るため、ボヘミヤ領邦議会はオーストリアハプスブルク家神聖ローマ皇帝フェルディナント1世をボヘミヤ王に選出。同家に国の命運を委ねる。
続いて17世紀。ボヘミヤ・プロテスタントの形成。対する支配者ハプスブルク家は強いカトリック化政策をすすめる。ただし、フェルディナント1世の嫡孫ルドルフ2世は懐柔しやすく、プロテスタント勢力は信仰の自由を皇帝に認めさせる。皇帝家内部で、帝への弱腰批判。これをきっかけに、ルドルフ帝の弟マチアスは兄から実権を奪い、皇帝マチアスの誕生。
かたや領邦議会の等族議員でもあるボヘミヤ・プロテスタント貴族たちは、信教の自由を認めた皇帝勅書をたてに(強権支配に傾いていた領邦君主に対する反抗の意味も込めて)カトリック教会領内にプロテスタント教会をムリクリ建立。
新帝マチアスは、王領地に作られたこの教会を封鎖。怒ったプロテスタント等族はプラハにて抗議集会を召集するも、皇帝はこれに禁令を出す。抗議100人あまりの代表者はプラハ城に押し掛け、執務室にいた代官2人と書記官を、ポポイと窓から放擲*1。マチアス帝はこの直後に崩御する。
ハプスブルク宗主、そして新ボヘミア王位は、マチアスの従兄弟に当たるフェルディナント2世に移る。フランクフルトにて選帝侯会議が開かれ、裏取引の甲斐あって無事フェルディナント2世は神聖ローマ皇帝に選出。一方、フェルディナント2世のガチガチのカトリック主義を嫌ったボヘミヤ議会は、彼の王位を剥奪。代わりにプロテスタント諸侯の軍事同盟・ユニオン(新教徒連合)の指導者、プファルツ選帝侯フリードリッヒ5世を王に即位させる。
皇帝フェルディナント2世は、スペイン・ハプスブルク家と、国を接したボヘミアの動向に脅威を覚えていたバイエルン侯を味方につけて、フリードリッヒ5世率いるボヘミヤ・プファルツ連合軍と、いざ開戦。
1620年「白山の戦い」。結果。カトリック連合軍の圧勝。
この勝戦により、フェルディナント帝はフリードリッヒ5世のプファルツ選帝侯位を剥奪、密約通り、これをバイエルン侯に与える。その反面、バイエルン侯を牽制するために、プファルツを陣取っていたスペイン軍のひき続きの占拠を認める。外国軍の自領占拠黙認に、ドイツ諸侯はどよめき立つ。そんなこんなで、舞台は第二幕へ続く。

*1:【窓外放擲】ボヘミアでは伝統的な反乱開始の合図らしい。この時の3人は堆肥に落ちただかなんだかで助かった模様。