デザインと矛盾

デザインのことを考えていた。
自分で完成させたデザインを見て、「ここが悪いな、こうすれば良かったな」と改善すべき部分が見えてるうちは、まだ上達する可能性があるという点で未熟だ。
逆に、「これは上出来だ。これ以上直すところはないな」と思ったら、直すべき点を見つけだせないという点で未熟だ。


デザインの出来、不出来は、見た目だけでは決まらない。二つの作品があって、こっちの方がかっこいいけど、テーマには沿ってないよねという場合は、そのデザインは破綻している。アートには存在理由は問われないけれども、デザインはテーマを語ること、コンセプトを主張することが存在理由として厳在するので、優劣をつけることが可能になる。


ビジュアル、色、柄、テクスチャー、使用される言葉、書体、空白、すべてがテーマを表現していなければならない。感覚だけで無配慮に使用された文様などは、全体の中で不協和音を奏でる(フランス音楽会のデザインで、沖縄紋使ったらおかしい)。配されたメインのビジュアルに対し、デザインされた細かな部分はテーマの通奏低音となる。(デザインって、作曲と似ている)



矛盾について。
矛盾が発生する原因は、多次元の問題を一次元的に論じるからだろうけども、現実世界は多分多次元が同居している。という点で、世界は矛盾があって当たり前なんだろうか。しかし、矛盾って、人間の思考の中の発想であって、物理的にはありえないもの?


デザインの改善すべき点が見えないという時、本当は改善すべき点があるのに見えない、か、実際に直すべき点が無いか、の2つの場合がある。後者は実際にありえるだろうか。ありえるかもしれない。あるレベル以上の作品同士だと、デザインの出来に論理的な優劣がつけがたくなる。好みの問題に入る。


参照すべきは、自分によって作られたデザインではなくて、自分自身だろう。
というか、デザインの完成度と、自分の未熟性を同じ次元で語るから矛盾するのか。
自分の未熟性は、もとい、自分の完成は、何を参照しても、確信できないようにできている。