ふかくて暗い河

人に何かをして見返りがないと怒る、という性格ではないような気が自分ではしてたけど、実はやはりそうゆう性根をしっかり持っているのだなぁ、と改めて思った今日の夜。誰かの事を気にしてその人によかれと思ってした事なのに、対する相手が無反応だったり、ムゲに気持ちを断ち切られたりすると、それにがっかりすると同時に、相手の何がいけなくて私の気持ちをこんなに逆撫でているかを、無理矢理な論理で組み立てようとする。でも、そうゆう癇癪起こした状態で編み出した論理って、冷静になって考えてみると、とってもおかしい一方的な言い掛かりになってたり。ピンカーの『心の仕組み』を読むにつけ「見返りを期待してそれが無いと怒りが発生する」という心根は生き物としてもうしょうがないもんだと思うので、怒りが発生した時にちょっと立ち止まって、自分の腹立ちまぎれの論理が破綻してないのかどーかだけは、ちゃんと確かめるようにいたしましょう。


私が期待した思いやりを相手が持ってなかった。という状況なら、私がどうゆう思いやりを相手に期待してたかを、相手に伝えればいいんでないかい? ねぇ?


「男と女のあいだにはふかくて暗い河がある」と歌われたのは『黒の舟唄』が最初だろうか。派生して、どんなものの間にも「ふかくて暗い河」を横たえさせて表現するようになってるけど、そうそう、ホントに、どんなものの間にだって飛び越えられない隔たりはあるねぇ。動物と人間の間にだって、人種の違う人間間にだって、親と子の間にだって、私と私の間にだって。でもたどり着けない向こう岸があるのは分かりきってる事なんだから、「行けない」「行けないから向こうの人は何考えてるかワカンナイ」じゃなくて、言葉が通じる限り(おなじ日本人でも言葉が通じない人も時々いるが)声だして意思疎通すりゃあいいんじゃんか。あー、もう、なんか当たり前のこと書いてんな。要は、怒ったらむっつりしてないで、ちゃんと口に出して言えよ自分、ってコトなんですが。