英仏百年戦争 前史

もともと、グレイト・ブリテン島はケルト民族の土地であった。しかし、4世紀のゲルマン民族の大移動で、アングロ・サクソン人の移住がはじまり、先住の民族を駆逐。この時、辺境に追いやられたケルト民族の末裔が、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人。

(「イングランド」という名称は、フランス語「アングルテール」=「アングル人の土地」という意味。)


イングランドが王国の形をとるようになった8〜9世紀、デーン人(デンマーク人)がヴァイキングとして襲撃。結果、11世紀、デンマーク王がイングランド王を兼任することに。ほどなく、アングロ・サクソン系の王朝が復活するも、外敵の侵攻に常に悩まされる。


そしてついに、1066年、フランス・ノルマンディ公ウィリアムが、ヘイスティングスの戦いで、イングランド王ハロルド2世を倒し、王位につく。この時、大陸の政治システムである、御恩と奉公の封建制をしき、集権的国家をつくる。これが「ノルマン朝の成立」。


ところで、10世紀、フランスを荒らしたヴァイキングの首領にロロという男がいた。彼は、西フランク王シャルル3世に、公の位と「ノルマンディ(北の人の土地)」を与えられ、臣下として懐柔される。この男を祖とするのが、ノルマンディ公家であり、後、歴代のノルマンディ公は、定住、通婚、キリスト教に改宗(でいいのかな?)等々、めきめきとフランス化。名前もフランス風に変えていく。そして、6代ノルマンディ公ギョーム2世が、イングランド王になりノルマン朝を起こした、ウィリアムス(ギョームの英訳)1世である。




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