『肝心の子供』肝心の子供作者: 磯崎憲一郎出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/11/16メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 49回この商品を含むブログ (54件) を見る

「肝心の子供」というタイトルは面白い。「肝心の」という言葉が頭に置かれると、「(他のものはあるのに)その対象物が見当たらない」「その対象物が、こちらが思っていたのと逆の反応をする」という意味を持つように思う。確かに、この小説では、肝心の子供たちは、いなくなる。親たちの思惑を飛び越える。


もし、肝心に続く語句が、子供じゃなくて、母親や父親や祖父母だと、別の設定が必要になってくる。
例えば、母親の誕生日を祝って、子供が苦心して部屋を飾った。父親はよくやったねと褒めてくれたのに、「肝心の母親」は不機嫌であった。
例えば、今日は病院に連れて行く日だったのに、「肝心のおじいちゃん」がいない。
でも、「肝心の子供」となると、そんな設定は不要に感じる。親が肝心になったり、祖母が肝心になるには説明が必要だけど、子供が肝心なのは説明不要だ。
子供はいつでも肝心なもの。いつでも大切だし、いつでもどこかで不在感を持つ。それに、いつもこちらの思い通りに動かない。そういう言外の意味を、常にはらんだ「肝心の子供」。


それに、「子供」じゃなく、「その子供」でもなく、「肝心の子供」とある事で、周囲の人間にとってみれば、子供は不変に肝心なもの、重要視されるもの、というニュアンスが強調される。何ゆえ肝心? 子孫が代々途切れなく続くために肝心。そう考えると、「肝心の子供」というタイトルだけで、連綿と続く人類の、ヘタをすれば人類だけでなく、生命の数珠つなぎ、子が親になり子を作り、その子がまた年をとり親になり子が続く、というめまいがするようなイメージまで思い描ける。


なんでこの本を読んだかというと、スタジオヴォイスに載ってたインタビューが面白かったから。興味ひかれたポイントは、42歳の筆者が、80年代のあの独特な感じを嫌っている事。マッチョな世界に魅力を感じていて、早稲田でボートをやっていたということ。自分にあまり興味がないらしいこと。自分が不幸であることを、世界が不安定であると勘違いしてはいけないと語っていること。それから、子供が自分よりも大事だという考え方をすると、その子供にとっても一番大事な存在というのは子供の外にできる。そうやって意識がどんどん外側に広がって、大事なものがウワ−っと宇宙中に広がる。というような発想を持っている事。


小説の中では、ブッダの孫が大切に飼育していた何百匹という甲虫を、母親が食おうとして焼いたが、堅くてダメだったと彼に告げるくだりがお気に入り。しかし小説よりもインタビューの方が面白かったかな。文章ももう少し磨いてくれた方が好み。