『災いは『可』である』
生徒達は、驚くほど生気のない顔でこちらを見ていた。
私はその暗い洞穴のどれかを捕まえようと、頼りになりそうな視線を探した。しかし、すがろうとする私の動揺を感じるやいなや、どの顔も不安気に、あるいは怪訝気に震え、せっかく繋がりかけた私とのラインも、傷がつかないよう細心の注意を払いながら、軽く軽くそっと引き剥がしてしまう。そして、持て余した気持ちを、無難に手元のテキストへと落下させていくのであった。
そんなわけで、私はしかたなく、持った書物の思いがけない重量感に内心たじろぎながら、その一行目を口に出して読んだ。
「災いは『可』である。」
災いは『可』である。
私はじっとこの一文を眺めた。
『可』とは優・良・可・不可という、評価の、『可』の事だろうか。
災いは及第点を与える事が可能だということだろうか。
災いは不可ではないのか。
災いが不可でないなら、一体他のどういったものが不可なんだろうか。
「誰かこの文章の意味が分かる人はいますか?」
私は再び生徒たちに顔を向けた。
考えてみると、私は厄を避けない。私のようなやわな人間がこの社会で生きていくのなら、少しは苦労を知らなければいけないだろうとの思いから、災いを災いと知らずにいたいと考える。
病に倒れても、肉親がいなくなっても。自然現象が、あるいは人災が、私の大切なすべてを奪っても、それによって逆に手に入れられるものが豊穣なら、それは災厄だろうか。
「先生、災いを起こす事は可能です。」
洞穴のひとつが言った。先生、災いを起こす事は可能です。
そうです。私たち一人一人が、祝福でもあり、災厄でもある。私たちが渦に巻き込まれるのじゃあない。私たちが、渦のひとつひとつ。
子供たちの好奇の顔がこちらへ向けられる。悪戯っ子のように、天の邪鬼のように。先程とはうって変わってキラキラと輝く洞穴たちが、災いを讃えて、ニッコリと笑う。
「先生、災いは『可』である。」
「先生、災いは『可』である。」