『IRON (アイアン) 』(2観目)

感想走り書き2個目。

自由があるあると言われている日本に生きる方が、カテルジマにいるよりも幸せなんだろうか。そうゆう事を考えるんなら「幸せって何?」という部分にまで踏み込まないといけない。

物質が豊かな事はいい事だと思う。食べ物の心配をせず生きていける事はいい事だと思う。祖先の永く住んだ土地で生活できるのは幸せな事だと思う。親族両親の生きている土地で助け合っていけることは幸せな事だと思う。最低限の生活レベル以外の希望を持って、それを実現させる可能性のある環境は幸せだと思う。同胞と分かりあって働き続ける事は幸せだと思う。そうゆうこと全部ひっくるめて幸せな国があればいいんだけど、そうじゃないから選ばなくてはいけない。

自国にいても、卓球の世界で後がない男は、可能性を求めて死と隣り合わせの離脱をはかる。一方、比較的環境に恵まれている女は、男が生を賭してまで自分を置き去りにしていく事を理解できない。何を求めて生きているかがそれぞれ違って、だから二人は別れたのであって、これはこの芝居の主軸ではない。(いや、これこそが主軸なのか?)

世界を夢見る男が、その夢のせいで、意図せず、大切な先輩を苦境におとしいれる事になる。それに苦しみつつも、夢見る男はさらに周囲を辛い境遇に追い込む可能性のある決断をする。

自分の両親を救おうとする少女は、国の命令にさからえず、裏切り者の仲間の摘発に協力する。

自由や夢を希求する事はいけないことでは無いはずだけど、自分のために、誰かを犠牲にする事は許されない事だとやっぱり思う。それが免れないことであるなら、悩んで悩んで、苦しみ抜くような過程が描かれてからの決断でないと私は不服だ。そこらへんが曖昧だし、血の決断を安易に許すような結末であるので、私はこの話があんまり好きではないのだなおそらく。もっと、憎しみや妬みに満ち満ちた話だと思うので。あからさまに見せずとも、それを内包した芝居という風に見せることもできたんではないか。

自分が、観客全員から憎しみと非難の目を向けられるんだ、くらいの気概でやらないと、ただのおしばいになってしまう。あんなペコンとお辞儀して、「すいませんでしたー!」では許されない事をやってるんだと自覚してるんだろうか。土下座して謝るほどの感情をあの言葉に乗せないといけないんじゃないのか?これは国の話や体制の話ではなく、人間の話だからこそ、恐ろしいんじゃないのか?国や体制の話ではなく、人間の話をえぐり出さなきゃならなかったんじゃないか?



それから、華玉木の位置付けって?



私が伝説の龍であるのか?
私は伝説の勇者であるのか?



そもそも、卓球に対する情熱ってのが、皆うすいよね。(あの、熱血女性意外は。)説得力のない基礎の上に立ち上がった勇気。



他の人たちが何を糧に生きているのかが見えない。
諦めを肥やしにしてもイイと思う。でもそれは生半可な諦めではイケナイと思う。